さて、突然ですが、これからしばらくの間「まんがの描き方」についての話をしていこうと思います。「描き方」といってもペンやインクなどの画材や、
あるいは現在ならパソコン用のアプリケーションということになるのでしょうが、それらの道具の使い方についてのことではありません。
まんがを描く手段が画材からアプリケーションへと進化したとはいえ、それらの「使い方」についての入門書は昔も今も存在します。
しかし、これからお話していこうと思うのは、それ以前の段階、そもそもまんがとは一体いかなる表現なのか、ということについてです。
あるいは読者やまんが家の中には、まんがを読むのに、もしくは描くのに理屈はいらない、と考える方たちがいるかもしれません。
しかし、ただ理屈を弄ぶことと、自分たちの表現が自分たちの意識しない形でどんな原理で成り立っているのかを考えることは全く異なります。
そして、ぼくが考えてみたい「描き方」とは後者のような立場に立ったものです。
もちろん「描き方」の中には「いかにおもしろいストーリーを作るか」「いかに魅力的なキャラクターを作るか」「読者を“萌え”させる絵とは何か」
「コマをどうやって割ったらいいのか」といった各論が含まれます。
しかし、それらの「描き方」は、そもそも「まんがとはいかなる表現か」という問いの上にこそ成立するように思うのです。
さて、戦後のまんがの歴史の中で「まんがとはいかなる表現か」という問いに最も真剣に向かい合ったまんが家としてぼくは
石森章太郎の名前をまず挙げたいと思います(「石ノ森」ではなく「石森」と敢えて記すのは、
藤子不二雄が○AとFによって区別されるのがしっくりこない古いまんがファンのこだわりと思って下さい)。
え、手塚治虫じゃなくて、と疑問に思う読者がいるかもしれません。
なるほど、手塚治虫は現在のまんがの手法の多くを作り上げた偉大なまんが家です。
そして石森章太郎は手塚の強い影響の元にまんが家となったトキワ荘グループの世代です。
それ故、石森章太郎がまんがの歴史に与えた影響は赤塚不二夫や二人の藤子不二雄と一くくりの印象として捉えられがちです。
まして本誌の読者には、『仮面ライダー』の「原作者」としてのイメージしかないと思います。
そもそも、手塚治虫という天才が戦後まんが史の始まりに現われて、それまでの読者が見てきたまんがとは何か違うものを書き始めた時、
多くの読者はそれに魅了されながら、しかし、その「新しいまんが」がなんであるかをうまくことばにできませんでした。
みなもと太郎は子供の頃、近所に住んでいた年長の男性が、ある日、突然、手塚のまんがを貸してくれ、そして「おもしろかった」と答えると、
しばらく何かを話したそうにしていたけれど、やがて諦めたように帰っていった、という出来事があったことを覚えているそうです。
その男性は手塚のまんが(恐らくは昭和二〇年代の作品でしょう)から受けた、
単に「おもしろい」とか「愉快」とは違う感動を誰かと話したくて近所の子供に読ませてみたものの、小学生であるみなもと太郎も、そして、
そもそもがその男性も、手塚まんがのどこが新しいのか、何に心を動かされたのかをうまくことばにしようがなかったのです。
それに対し、トキワ荘に集まった人々は手塚治虫の新しさをただ読者として受けとめただけではなく、その新しさを自分たちでも再現できる人たちでした。
それは重要なことで、いくら一人の天才がいても、その新しさを受けとめ次につないでいく作り手がいなければその分野は進化しません。
その場合、先達の側が自分たちの手法を次の世代に教える、という形も当然あるのですが、手塚治虫は「自分の新しさ」について自分で次の世代に教えた、
というより、むしろ次の世代が一方的に学び、体系立てていった、と言った方が正確です。
トキワ荘の人々の中にあって、石森章太郎はとても重要な存在です。
石森章太郎は「手塚治虫のまんが」を体系立てる一方で、手塚治虫がうまく手法化できなかった問題にについて、実験的な試行錯誤を具体的作品作りの形でします。
つまり、まんがとはこのように作られるものだ、と誰にでもわかるように説明し、同時にそこから先のまんがの可能性について具体的に示した、と言えます。
このように、新しい表現を継承し、理論化し、実践で発展させる、という仕事はどうしても小さくしか評価されませんが、
唯一の天才は受け手にことばにならない感動を与えることはできても、それを手法として受けとめ、体系立て、進化させる、また別の形での才能がいなければ、
繰り返しますが、そのジャンルは進化しません。石森章太郎はこのような役回りを自ら背負っていったまんが家で、
その時代時代のヒット作は当然まんが史に残りうるにしても、戦後まんがの方法を体系立て進化の道筋を示した、
というもう一つの業績は改めて正しく評価されていくべきだと考えます。
ぼくがこれから「描き方」をお話ししていく上で、基本的に石森作品を教材としていくのはそのような理由からです。
実を言えば、これは同時に石森章太郎論でもあるのですが、しかし、石森章太郎を論じるのは一つ一つの作品について論じる作品論のような形ではなく、
むしろ「描き方」という文脈の中でその作品を論じていくことの方が、まんが史に与えた影響が正しく検証できるようにも思うのです。
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