【第二回の図↓】は「イントロ」の説明として石森が用いた頁ですが、1頁に9コマという、
今のまんがと比してコマ数が多いことにおそらく読者は驚くでしょうが、注意してほしいのは全てのコマで、主人公が異なる風景と異なる構図の中に配され、
そして、一連の風景からこの村の様子、そして神社で祭の準備が行われているという、物語の背景が示されている、ということです。
「背景」は単にキャラクターの後ろに描かれている「風景の絵」のことではなく、物語が成立する場、「舞台設定」という意味であることがわかります。
このような意味での物語の「背景」を石森はコマの連続で見せていきます。一方、台詞では少年少女の関係、特に少女が「ぐっと女の子らしくなった」、
つまり、もう子供ではなく思春期に差しかかっていることがさり気なく描かれます。
ヒロインの少女が思春期に差しかかっている、というのは作品の重要なテーマにこの後、つながっていくのです。
つまり「キャラクターの動き」ではなく、もっと多様な情報を二人が何気なく会話をしながら、それを様々な構図で追う9コマで石森は「説明」します。
ここで見られる、台詞にカメラワークが組み合わさり、台詞と風景がそれぞれ「情報」として読者に伝えられる、というのは明らかに映画の手法です。
つまり、石森章太郎は「まんがの手法」を「映画の手法」を徹底して導入することで体系立てていることがわかります。
そして、それを論理立てて説明されていることが重要です。
手塚治虫は戦前、戦時下に成立した映像的手法を戦後まんがに持ち込みました。
また、映画でしかそれまで表現できなかった大掛かりなドラマや素材をまんがに持ち込みました。
しかし、まんがの演出技術を映画との対比で改めて体系立て、何よりそれを次世代に伝えたことは石森章太郎の功績です。
事実、この『マンガ家入門』は次の世代に大きな影響を与えます。
「24年組」やその下の「おたく」世代のまんが家たちは、この『マンガ家入門』の影響を色濃く受けています。
このように手塚まんが、戦後まんがの方法が初めて誰にでもわかる形でまんが家を志すものに示されたことは、実は大変な業績でした。
手塚治虫やトキワ荘グループは元々映画ファンでしたが、石森は「映画のようなまんが」を感覚的にではなく、論理的に示すことができたまんが家でした。
『マンガ家入門』のおかげで、後のまんが家たちは、どうやったら映画の方法をまんがに応用できるかを学べるようになったとさえ言えます。
しかし、そもそも石森がまんがの方法を「アニメ」ではなく「映画」をベースに考えようとしたのは何故なのでしょう。
そのことは一体、「まんがとはいかなる表現か」というより本質的な問いに、どのように関わってくるのでしょう。
その答えは実は石森のデビュー作「二級天使」(一九五五年)に見てとることができるのです。
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