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さて、前置きが長くなりました。石森章太郎は「まんがとはいかなる表現か」と考え込み、体系立てていく上でいくつかのまんが入門書を残しました。 その大半は一九六〇年代に書かれています。具体的には「まんがスクール」(一九六二年『少女クラブ』別冊) 『マンガ家入門』(一九六五年)『続・マンガ家入門』(一九六六年)などが挙げられますが、中でも『マンガ家入門』は重要です。 まんが入門書というと今日でも数多く刊行されています。しかし、それらは画材の使用方法や絵の書き方に多くのページを費やしています。 手塚治虫は『漫画大学』(一九五三年)や、『手塚治虫のマンガ大学』(一九六八年、後に『マンガ専科』と改題)などの入門書を残していますが、 前者は西部劇や少女まんが、4コマまんがといった異なるスタイルの短編からなるアンソロジーで、間にまんがの「描き方」が語られるという形です。 しかし説明されているのは画材の使い方や、印刷についての知識についてです。 後者は、一人のまんがファンが人気まんが家になっていくまでの成長小説で、 挿し絵部分でまんがの画材や絵を書くコツがワンポイント的に説明されます。 しかし、「自分の絵がうまいかヘタかみわけるには」「うらがえしにしてすきとおしてみてごらん」と言われても、確かにいわゆる「デッサンのとれていない」絵は、 歪んで見えるにしても、手塚治虫にそんなこと言われてもなあ、と子供の頃のぼくは思った記憶があります。 つまり、これらの入門書は、手塚治虫が実は「自分のまんがの新しさ」について教えることがうまくできていなかった一つの例でもあるのですが、 それに対して『マンガ家入門』はまんがの「描き方」を自身の作品を教材に説き起こしていく点が特徴的です。 石森は自分のまんががいかに描かれているのかを自分で最もよくわかっていた、と言えます。 『マンガ家入門』は片頁に作品の頁を、その対面の頁に文章による解説をします。 そこで示される「描き方」は例えば【第一回の図→】が示され、こう解説されるのです。
●前コマ(プロローグ)
映画の手法です。タイトルを効果的にだすためのじゅんびです。ここでは四コマだけですが、二ページか三ページ使うこともあります。 その物語によって、あるいはスペース(頁の大きさ)などによって、いろいろ工夫しましょう。

第1コマは、読者と主人公である少年の視点です。第2コマの少年のうしろ姿をアップで読者と少年を同化させ、少年がしだいに、 画面の奥にはいっていくことによって

つまり、物語の中にはいっていくことによって、読者をもその中に引っぱりこもう、というわけです。
つまり『マンガ家入門』に於いて「描き方」とは、「画材」や作画技術、まんが用語の知識ではなく、「演出方法」を意味しています。 ここで使われる「プロローグ」とは、物語の前段のことを差す語ですから、その意味で小説にもプロローグはあります。 しかし石森章太郎は「プロローグ」を「映画の手法」と言い切ります。実際、映画ではタイトルが入る前に導入部としての映像が流れます。 そういう意味で「プロローグ」という語を用いて、その手法をまんがに使ってみせたわけです。

ここで少し、映画の手法とまんがの手法の関わりについて考えてみましょう。

しばしば手塚治虫は『新宝島』で映像的手法を示した、と言われてきました。 しかし、それは遠近法や奥行きのある画面の連続でまんがを「動く」ように見せるものでした。 しかし、石森が演出の側として示した自作「竜神沼」は、いわゆるアクションシーンはなく、静的な画面の積み重ねで進みます。 つまり「動き」とは違う形で「映像的」です。

【第二回の図↓】は「イントロ」の説明として石森が用いた頁ですが、1頁に9コマという、 今のまんがと比してコマ数が多いことにおそらく読者は驚くでしょうが、注意してほしいのは全てのコマで、主人公が異なる風景と異なる構図の中に配され、 そして、一連の風景からこの村の様子、そして神社で祭の準備が行われているという、物語の背景が示されている、ということです。 「背景」は単にキャラクターの後ろに描かれている「風景の絵」のことではなく、物語が成立する場、「舞台設定」という意味であることがわかります。 このような意味での物語の「背景」を石森はコマの連続で見せていきます。一方、台詞では少年少女の関係、特に少女が「ぐっと女の子らしくなった」、 つまり、もう子供ではなく思春期に差しかかっていることがさり気なく描かれます。 ヒロインの少女が思春期に差しかかっている、というのは作品の重要なテーマにこの後、つながっていくのです。 つまり「キャラクターの動き」ではなく、もっと多様な情報を二人が何気なく会話をしながら、それを様々な構図で追う9コマで石森は「説明」します。 ここで見られる、台詞にカメラワークが組み合わさり、台詞と風景がそれぞれ「情報」として読者に伝えられる、というのは明らかに映画の手法です。

つまり、石森章太郎は「まんがの手法」を「映画の手法」を徹底して導入することで体系立てていることがわかります。 そして、それを論理立てて説明されていることが重要です。

手塚治虫は戦前、戦時下に成立した映像的手法を戦後まんがに持ち込みました。 また、映画でしかそれまで表現できなかった大掛かりなドラマや素材をまんがに持ち込みました。 しかし、まんがの演出技術を映画との対比で改めて体系立て、何よりそれを次世代に伝えたことは石森章太郎の功績です。 事実、この『マンガ家入門』は次の世代に大きな影響を与えます。 「24年組」やその下の「おたく」世代のまんが家たちは、この『マンガ家入門』の影響を色濃く受けています。 このように手塚まんが、戦後まんがの方法が初めて誰にでもわかる形でまんが家を志すものに示されたことは、実は大変な業績でした。 手塚治虫やトキワ荘グループは元々映画ファンでしたが、石森は「映画のようなまんが」を感覚的にではなく、論理的に示すことができたまんが家でした。 『マンガ家入門』のおかげで、後のまんが家たちは、どうやったら映画の方法をまんがに応用できるかを学べるようになったとさえ言えます。

しかし、そもそも石森がまんがの方法を「アニメ」ではなく「映画」をベースに考えようとしたのは何故なのでしょう。 そのことは一体、「まんがとはいかなる表現か」というより本質的な問いに、どのように関わってくるのでしょう。 その答えは実は石森のデビュー作「二級天使」(一九五五年)に見てとることができるのです。

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