鈴木伸一 インタビュー(第4回) メッセージトップ>>
●ヒーロー物の原点「レインボー戦隊ロビン」
― そのときには、石ノ森先生とは久しぶりにお会いになったんですか?

鈴木:ときどきは会っていましたよ。なにかというと新漫画党で集っていたんです。新漫画党は結成してもう50年以上になりますが、解散していないので現在でも存在しているのです。実際にグループとして活動しているわけではありませんが、みんなの心の中にあるのです。以前のメンバーは8人だったのですが、寺田ヒロオ氏、園山俊二氏(93年没)。藤子・F・不二雄氏、石ノ森章太郎氏、の4人が亡くなり、いまや藤子不二雄氏、つのだじろう氏、赤塚不二夫氏、と僕の4人だけですが、赤塚氏は入院中なので元気なのは3人です。3人だけでは集まることも少なくなりました。たまに何かのパーティとか、お葬式だとかでは会いますが…(笑)。

― 石ノ森先生とは、スタジオ・ゼロ以降に時折会われて、どんなお話をなさってましたか? マンガの話はあまりしなかったんですか?

鈴木:そんな話はもう照れくさくてしないです(笑)。一般的な世間話、くだらない話が多かったと思います。

― みなさん、仕事を離れたところでお話をしたいという感じだったんでしょうか。

鈴木:そうだなあ。会うとお互いにほっとするというのか、昔の若い頃に戻って冗談を言い合ったり、ダジャレで笑い合った……相変わらず映画の話は多かったかな。

― 石ノ森先生の好きな映画の傾向はどんな感じでしたか。

鈴木:なんでも観ていたと思いますが、やっぱりSFのようなものはちゃんと観ていたようですね。アクションものも好きだったようで「トゥルー・ライズ」が封切りされた頃だったかな、あれはすごい!と言っていたのを思い出します。彼の描くマンガのジャンルが広いように、SF、アクションに限らずいろいろなものを観ていたようですね。

― いろいろなことに興味のある方だったとうかがっています。

鈴木:全くその通りですね。世界の七不思議から、本当にいろいろなもの……僕らの仲間で最初に海外旅行に行ってきたのは彼なんです。まだトキワ荘にいた頃で、一ヶ月ぐらいかけて世界を周ってきたんじゃなかったかな。アメリカでSF大会に出たりしているから、その勇気には恐れ入りますね。

― 当時、石ノ森先生がいなくなって、マンガ雑誌は大変だったそうですね。

鈴木:そうでしょうね。彼は原稿を描くのがめちゃめちゃ早いから、描きためて行ったとは思いますが、とにかく彼は描くのが早い。人と話ながらでもひょいひょい描いちゃう(笑)。手塚先生も早かったけれど、僕が見た感じでは手塚先生よりも少し早かったかも知れないですね。鉛筆で一応下書きは描くんですが、それが本当にラフだから誰もペンを入れることができない。彼の仕事振りをみていると頭の回転に手が追いつかないという感じですね。ふだん会っているときの彼はおっとりした感じの人間なんですがね。

― それほど饒舌ではなかったとか。

鈴木:饒舌な方ではないですね。そんなにしゃべるほうではなかったし、おそらく講演なんかもそんなにしていないと思います。得意ではないような気がします。

― マンガでは非常に饒舌なんですけどね。

鈴木:話したいことが、みんなペン先から描きだされていたんじゃないでしょうか。

― デビュー当時から石ノ森作品をご覧になっていて、「ジュン」以外に印象に残った作品はありますか。

鈴木:アニメをやったせいもありますが、やはり「佐武と市」が印象深いですね。最初は「少年サンデー」連載だったから佐武のキャラクターも子供っぽかったけれど、アニメにするときは青年という感じになりましたね。「佐武と市」を読むと時代劇の考証とかよく判っているんだなあと思いました。もっとも、彼は知識欲が旺盛で何でもよく調べるし、周りの人も調べてくれると思うんですが、ほんとうにいろいろな事をよく知っていましたね。

― 「佐武と市」は、いわゆる少年マンガがあって、それから大人向けのマンガや劇画が発展していく、過渡期的な部分がありますね。

鈴木:そうだと思います。最初は子供向きだったと思いますが、アニメになったあたりから原作の方も青年マンガに変わっていきます。マンガが劇画といわれるリアルに近いものに変わりつつあった時代だったんですね。絵もドラマもシリアスな内容が多くなるし、時代を機敏に捉えていく彼特有の嗅覚で、大人志向にかわっていったんだと思います。そんな中でも彼のマンガにはどこかにユーモアやギャグのようなものがちょっと入ったりするところが持ち味だったと思います。彼の作品に「化粧師」(90年放映)というのがあり、監修という役目で参加しましたが、そのときは江戸情緒のようなものを出そうと思って、ラストを川柳で締めるアイデアを出しました。これなども大人のアニメでしたね。

― 石ノ森先生は、マンガでもそうですが、アニメをはじめとする映像の世界にも大きな影響を残しましたね。

鈴木:そうですよね。「仮面ライダー」はアニメではないけど、あのようなタイプの特撮アクション作品のはしりであるし、いまでも人気があるというのは「仮面ライダー」を越える作品があまりないということでしょうね。また「サイボーグ009」とか、「レインボー戦隊ロビン」のような集団で敵と戦う戦隊ものを描いたのも彼ですね。

― 「レインボー戦隊ロビン」の面白さは、ひとりひとり全く違う個性を持ったキャラクターが活躍するところ、混成部隊的な面白さですよね。

鈴木:そうなんですね。頭脳もいるし、何でも治す看護ロボットもいるし、早撃ちのエキスパートや、パワーロボットもいるし、ロケットになる乗り物ロボットもいる……それぞれ特徴を持った形で構成してあります。またゼロのマンガ家たちみんながアイデアを出し合ったというところもよかったのでしょう。黒澤映画の「七人の侍」がヒントかもしれませんが……。

― 鈴木さんは、現在、杉並アニメーションミュージアムの館長を務めておいでですが、いろいろな形でアニメの資料を残していらっしゃいますね。

鈴木:いろいろなアニメの資料を集めていますし、まだ少ないのですがアニメ関係者のインタビューも収録しています。石森氏のアニメ原作者としてのインタビューを残しておきたかったですね。とても残念です。日本のアニメが世界的に評価されてきたので、日本政府や東京都も、地方の行政も、日本の新しい文化の一つとして注目していますが、アニメと共にマンガも世界的に広がっていますね。アニメは映像なので先に目立ってしまった感がありますが、日本のアニメ発展の基には、手塚先生から始まったストーリーマンガの発達を取り上げておかなければならないでしょうね。第2次大戦に敗れた後、まだ娯楽が少なかった時代に登場した手塚先生のマンガで、藤子・F・不二雄氏も、石ノ森章太郎氏も、藤子不二雄氏、松本零士氏、ちばてつや氏も、横山光輝氏、赤塚不二夫氏、水野英子さん、矢口高雄氏も…そのほか大勢の人がマンガ表現の自由さ、奥深さ、面白さに惹かれていっせいに描き始め、マンガ・ブームといわれるような時代がありましたよね。それからテレビ放送が始まりテレビアニメが作られるようになって、その多種多様なマンガが次々にテレビアニメ化されていくわけです。しかし当初は制作費が少ないテレビアニメは満足なクオリティを確保できなかったのですが、制作費が少ない中でもアニメ監督やアニメーターは、表現に創意工夫を凝らして、その中からジャパニメーションといわれる一味違った作品に発展していくわけですね。その結果、日本ほど子供から大人まで、そしていろんなジャンルのアニメが作られ観られている国はありません。世界のアニメの6割以上は日本産のアニメだといわれています。そのアニメ発展の原点にはマンガがあり、その中でもトキワ荘の人たち、手塚治虫先生、石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄、藤子不二雄、赤塚不二夫氏らのマンガが大きく影響を与えたことも憶えておいてほしいですね。

― 最後に、石ノ森章太郎萬画大全集の読者に向けて、メッセージがありましたらぜひお願いします。

鈴木:僕はわりに近いところにいたので、灯台下暗しでわからないところがあると思いますが、彼は非常にエネルギッシュな人でした。猛烈に描きまくり60歳で亡くなった。いまの平均年齢からみても若いですね、太く短く……一気にすごい炎を上げながら突っ走って燃え尽きた稀有な人です。その証拠はこの石ノ森章太郎大全集を見てもわかるでしょう。この大全集は石ノ森章太郎というマンガ家の名前をマンガ史の中にしっかり刻印した証拠になることでしょう。天国の石ノ森氏も喜んでいるだろうと思いますし、完結を心待ちにしていることでしょう。読者の皆さんには、この大全集を眺めながら彼の豪快な生き方を明日の糧にしてほしいですね。

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